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三栖閘門の歴史

淀川は昔から氾濫を繰り返し、そのたびに伏見周辺の住民は洪水に悩まされてきました。
伏見周辺の治水の歴史は、豊臣秀吉が伏見に城下町を築いた時から始まり、土木行政の近代化が急速にすすんだ明治時代には、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケらの指導による大規模な治水工事が次つぎに実施されました。


安土桃山時代

伏見の繁栄と人びとの暮らしを守るため、治水事業に取り組む。
 
秀吉の指揮のもと、宇治川と巨椋池が分離され、宇治川左岸沿いに宇治堤、巨椋池上に太閤堤・大和街道などの堤防が築かれました。伏見以南の宇治川右岸沿いや桂川左岸沿いの築堤も進められましたが、その後も宇治川の氾濫を抑えることはできませんでした。

秀吉が築いた太閤堤
豊臣秀吉

秀吉の時代の巨椋池沿岸図

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