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四季折々に美しい、水運のまち、酒蔵のまち

白壁に黒の腰板、明治から大正にかけてつくられた酒蔵が建ち並ぶ風格あるまちのたたずまい・・・
伏見のまちは天下人、豊臣秀吉によって城下町、港町として開かれました。
江戸時代には大阪から船で伏見に着き、陸路京の都へ向かう旅人で賑わいました。
十石舟は三十石舟より、ひとまわり小さく、当時は酒や米などの資材や人を乗せた舟でした。
酒蔵に柳が映え、四季折々に姿を変化する豊かな自然が美しい伏見のまちをゆっくりとご堪能ください。


春

夏

菜の花春になると東高瀬川の両岸は黄色い菜の花のじゅうたんに覆われます。大正11年に建造された松本酒造の酒蔵と、一面の菜の花の絶妙なコントラストは伏見の代表的な風景のひとつ。   伏見港公園涼しげな水辺は港町として賑わった伏見ならではの風景。みずみずしい緑の柳がゆれる宇治川派流域や伏見港公園は伏見を訪れる人びとの憩いの場所となっています。


秋

冬

伏見桃山城豊臣秀吉ゆかりの伏見桃山城は、城下町として栄えた伏見のランドマーク的存在。桃山文化史館には黄金の茶室を復元。春の桜もきれいですが、秋の紅葉は格別の美しさ。   明治から大正にかけて建てられた酒蔵が現存する桃山界わい。寒づくりが始まる晩秋の頃より、麹の香りが漂います。落ち着いた酒蔵の街並は酒処伏見ならではの風景。



秀吉が開いた伏見港
港町伏見の繁栄
豊臣秀吉京都と大阪を結ぶ中継地として栄えた港町、伏見。その基盤をつくったのが秀吉でした。文禄三年(1594)伏見城築城のための建築資材を運ぶため伏見港を開き、太閤堤や淀堤などの大規模な土木工事を行ない、宇治や奈良などを結ぶ街道としました。   秀吉から家康に引き継がれた伏見城下は、三十石舟、二十石舟など過書船と呼ばれる幕府が許可した船が往来する港町として賑わいました。京橋周辺は伏見港の中心地として、参勤交代をする西国大名の発着地となり、本陣や脇本陣が置かれました。
     
高瀬川運河の開削
名水から伏見の酒
高瀬川運河御朱印貿易で活躍した角倉了以の高瀬川の開削によって、慶長十九年(1614)に京都と大阪が水運で結ばれ、伏見は中継地点として発展しました。幕末、京橋近くの船宿寺田屋を定宿としたのが坂本龍馬。薩長同盟締結後に龍馬が暴漢に襲われる、寺田屋事件も起こりました。   伏見の酒造りが盛んになったのは桃山から江戸時代にかけて。米の産地の近江に近いことや、酒の寒づくりに適した冬の厳しい底冷え、そして良質で豊富な地下水「伏水」がが美味しい伏見酒を生み出しました。


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国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所